江戸湊のベイエリアの洲崎神社に幸先詣

お正月が終わる7日に緊急事態宣言が再度発令されました。神様がお帰りになるのを待っていたかのようですね。

それから20日ほどが経過しましたが感染者数は依然として高止まりの傾向を見せており、収束の気配すら見えてきません。

分散初詣の推奨で、松が明けたらゆっくりとお参りにと思っていたのですが、不要不急の外出は自粛せよとのお達しです。

暮れに👀蔵前神社に事前の初詣をしてきたのが正解でしたね。 
併せて年の瀬に木場の洲崎神社にも幸先詣をしたので、平成3年の神頼みは良しとしたいところです。

洲崎弁天社
▼①→国会図書館.jpg
歌川広重の「名所江戸百景」の『深川洲崎十万坪』。
木場の南に鎮座する洲崎弁天社(現:洲崎神社)辺りの鳥瞰風景です。
江戸湊の最前線で春の潮干狩りや初日の出が拝める景勝地として知られていたとのこと。
広重は物色するような鷹の目で何故か殺伐とした雪景色を描いたようで、海に浮かぶのは棺おけとのこと。遠くに見えるのは筑波山。シュールな視点ですよね。

▼→浮世絵です.jpg
同じ広重の『江都名所・洲崎弁天境内』です。こちらはチョイ高めからの俯瞰写真風ですかね。
葦簀張りの茶屋が出ており賑わっているようですね。干潮なのか沖で潮干狩りの姿も。植生は松林で奥は常緑樹林ですかね?
今ではこの海域はほとんど埋め立てられ、最前線の若洲海浜公園の先端部までは6.5㎞もありますよ。若洲では初日の出が拝めるそうです。


洲崎神社に幸先詣
▼③→洲崎神社参道.jpg

▼④→洲崎神社鳥居.jpg
暮れに蔵前神社に幸先詣をした後、またぶら撮り散歩で深川方面まで足を伸ばし、洲崎神社にお参りしてきた次第です。

▼⑥→小さな社殿A.jpg

▼⑦→小さな社殿.jpg
大正の震災や昭和の戦災で社殿は焼失されたが、昭和43年に現在の社殿が造営されたとのこと。RC造りのようでチョイ小さめですかね・・。


玉の輿・たまちゃん
▼⑨→玉の輿.jpg
1700(元禄13)年に五代将軍綱吉の生母の桂昌院が建立したのが始まりとのこと。江戸城中の紅葉山にあった弁財天をこの地の浮島に遷座して創建したとのことで、江戸時代中期頃までは「海に浮かぶ弁天さま」と親しまれていたとそうです。

▼⑩→玉の輿2圭.jpg
桂昌院(幼名:お玉)は八百屋の娘から将軍家光の側室まで上り詰めた人で「玉の輿」の語源になったそうです。玉の輿祈願の神社ですかね。
このゆるキャラの「玉の輿たまちゃん」像は令和元年に奉納されたとのことで、まだ新参者のようですよ。ウサギですかね?。


境内社
▼⑪→3祠.jpg
境内には弁天社に、豊川稲荷神社と於六稲荷神社がありました。

▼⑫→弁天.jpg
弁天社は洲崎神社の成り立ちからしてチョイ小さい気がしますよね。

▼⑬→豊川稲荷.jpg
            △豊川稲荷神社


波除碑(津波警告の碑)
▼⑭→津波警告の碑 2枚.jpg
寛政3年(1791)9月、深川洲崎一帯に襲来した高潮によって付近の家屋がことごとく流されて多数の死者、行方不明者が出た。
幕府はこの災害を重視して洲崎弁天社から西のあたり一帯の約18,000㎡を買い上げて空き地としこれより海側に人が住むことを禁じた。

220年後の現在は、神社前面海域の埋立が進み、豊洲や辰巳、有明などには多くの人々が暮らしています。江東ゼロメートル地帯は防潮堤で守られているとは言え、この地球温暖化の時代、異常気象の発生も多く、くれぐれも油断めさるなですよね。

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